5月になりました。4月のピンクなイメージに対して、新緑の季節です。日常生活の色構成が変化してくるのがわかりますね。風も光も、匂いも色も。暑いね、という台詞もひさしぶりで、口にするのも耳にするのも、なんかうれしい。
一方では5月病などということばがあります。困ったものです。新年度が始まって新しい環境に飛び込んだものの、緊張感がしだいに薄れつつも仕事や学業など生活面が本格化してくることで、相対的に起こることなのかもしれません。取り残されている、または取り残されそうになる感覚。自分の中心軸を確保したり、拠り所を持つのが対策なのでしょうか。外に出よう、友人などのつながりを大事にしようとか。
いまは4月になんでも変わってしまうという時代でもないし、活動の場所を複数持っている人も多いはず。多層的なというか同時存在的なというか、そんな日常を送っているならぽつんとしちゃう機会も減っているのではないでしょうか。どこにいてもケータイでつながり(つかまえられ)ながら、メールのやり取りをしながら、大学ならさらに無線LANでつながりながら、授業聞きながら、コンピュータの方でもメールを読んだり書いたりしながら、(別の)課題を解きながら、ウェブを見ながら、blog書きながら...。名前やキャラを使い分けたり、作ったりもして。
うーん、どうも5月病というのは、そのうちはやらなくなるような気がしてきました。
以下はメモ:
ガントチャートみたいなのをつくると、重なりっぷりが視覚化できるかもしれませんね。楽譜という比喩を使えばよいのかな、どんどん縦長になります。スレッドとかでもいいか。社会調査というかエスノグラフィーな視点で研究や調査が進んでいるんだと思いますけど。
ながら族はながらえる、って感じ?
ただし自分の体や時間は有限だから、戦略を決めたり、順番が大事だったり、お金が必要だったりというのはあります。こだわらないという選択肢もありますが。
「つながり(つかまえられ)ながら」ってのはどっちも大事かも。引っ張ってもらうことの効用を互いに期待して。「情報は発信者のもとにこそ集まる」というのもつながるかも。
リズムよりはスピードや密度が重要視される、という表現をいま思いついた。形式よりも結果が大事というのに近いか。ラフ コンセンサス アンド ランニングコードって表現もありますな。