読みかけですが、書いておきます。
著者の主張によればみごとに自分も「オスの負け犬」ということになります。えぇ、そうですよね。別にいいもんねー。...とか思うところがすでに負けてるわけですが、何か。
勝者と敗者が混在するのが世の中。育った環境や気づきによって変化するとしても、基本的には勝ってる方がよいのでしょうね。でも、勝つための行動みたいなの見てると、んー、さむい。かしこく動いている(つもり)の人とか、世渡り上手な感じとか、気持ち悪い。合理的な考え方をするという点ではこの本の内容にも通じるが、ちょっと立ち止まって余計なことを考えちゃうんですもん、自分には無理だわ。
先日読んだ『ニート』との関連も考えてみたい。
大げさに言えば、ADD/ADHDとか、片付けられない症候群にもつながる流れなのかも。社会がなんとなく停滞感をひきづりつつある中で、これまでの常識のいくつかが価値を失い、急な変化がスピード感や扱うべき範囲を地球規模に広げたり、あたらしい影ができたりしてることを背景として。
今回は影に「負け犬」という名前をつけました、というようなものだ。
読み終わって思うところがあればまたなんか書こう。