Dynabookについての論文(pdf)を読んだ。(Alan Kay and Adele Goldberg、"Personal Dynamic Media"、Computer 10(3):31-41、March 1977)
Apple が88年に打ち出した Knowledge Navigator というコンセプトは、わかりやすかったが万能すぎた。StarTrekでいえば、「データ」のような存在か。あるいはMaxヘッドルームのような。できたらたしかにすごい。でも、しばらくできそうにない。そのビジョンは、人工知能の万能性が信じられていた時代の、延長線上に現れた、まぼろしのようなものだったのかもしれない(それでも、2004年現在において、iChat AV とか Text-to-Speech といった技術がすでに日常のものになっているという点ではすごいんだけど)。
で、この文章を読みながら思ったのは、結局使い手が工夫していくのだな、という当たり前のこと。Dynabookはそれを邪魔せず支える役割を十分に果たせればよい。もちろんその実現のために、SmallTalkやウィンドウ描画システムといった、それまでにない、すばらしいアイディアが出され実装されていくのだが。
説明としては、後半の部分がそれに相当する。具体例もいいけど、前半の「考えの枠組み(Frame of Reference)」を説明している部分のほうが、個人的には面白かったかな。ぼくらは依然としてその風下にぼんやり立っているように思う。
参考にしたサイト:
「山田祥平のRe:config.sys ---メディアとしてのパソコン---」
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0611/config004.htm
Dynabook は notebook サイズの a personal dynamic medium
(アナログ)コピー、(デジタル)コピー
「山田祥平のRe:config.sys ---サランラップごしのコピー---」
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/0528/config002.htm
オノ・ヨーコ、1961年、「インストラクション・ペインティング」という考え
書く過程に意識を向けること、書く行為を繰り返すこと、更新されるオリジナル
常に「コピー」はデジタルの場合、常に「オリジナル」とはいえないか